前田美波里さんですが所属は東方現代劇の8期生です。
ですが、宝塚だと思っている方も多いようで今回は宝塚と思われてしまうのは何故なのか考察していきます。
前田美波里は宝塚ではなく東方現代劇の8期生
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前田美波里さんが入団したのは東方現代劇になります。
1963年に文化学院に在学中に芸術座のミュージカル「ノー・ストリングス」のPRを兼ねて東方が募集した”ミス・ノー・シトリングス”に優勝されます!
そして東方現代劇に8期生として入団されます。
翌年の1964年にミュージカル『ノー・ストリングス』で初舞台を踏み、初デビューされました。
その後、1966年に18歳の時に資生堂のサマー化粧品「太陽に愛されよう」キャンペーンガールとして起用され、人気を博しました!
ここから前田美波里さんの活躍劇が始まったのです。
前田美波里が宝塚と勘違いされのは何故?
マイ・フェア・レディ今日もありがとうございました☺️
帝劇残り2日!早い〜。
二幕冒頭、舞踏会シーンのスタンバイ!前田美波里さんを囲んで☺️ pic.twitter.com/8xV6gkUkAa— 町屋 美咲 Machiya Misaki (@pinq_525) November 26, 2021


前田美波里さんの経歴について
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前田美波里さんのこれまでの経歴について、どうのし上がってきたのかということもご紹介します!
海外生活をしていたアメリカから帰ってきた後ですが、1971年10月〜1972年3月までNHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』でMCを夫のマイク眞木と共に務めていました。
もともと、前田美波里さんは小学4年生の時、友達の影響でクラシックバレエに憧れ、鎌倉のエリアナ・パヴロワの弟子・野口力子の下でバレエを習っていました。
そして、将来バレリーナになるためには鎌倉にいるよりも東京で勉強した方がいいのではないかと考え、上京されるほどの気持ちを持っていました。
高校生の時には芸能プロダクションに所属し、「堀内完ユニークバレエ団」に通った。
そういった経緯もあり踊ることが大好きのようです!
1970年代には日本ではまだミュージカルというものが定着していなかった時代で1番やりたい踊る仕事というのはできていなかったようです。
観客からの喝采を受けることができない生活が耐えられなかったようで、舞台中心の生活に戻るべく、離婚をし舞台の世界へ再度、飛び込んだようです!
この時、29歳で芸能界へ復帰されましたが舞台の仕事はもちろん”0”でした。
自分から仕事をとりに行くしかないと考えた前田美波里さんは現在あった仕事を全て断り劇団四季の「コーラスライン」のオーディションに全てを賭けて挑みましたが全て落選。
この時の愕然具合は相当くるものがあったでしょう。
ですが、諦めきれなかった前田美波里さんは頼み込んで稽古を3ヶ月継続。
その甲斐あってか、演出家の浅利慶太さんに呼び出されて「開始10分~15分でいなくなる役でもやるか?」という問いに「やります!」と即答し出演。
これが足がかりになったようで、ここからまた舞台の仕事に戻っていきます。
ここでの経験が自分の人生観を大きく変えたと後に語っています。
現在は劇団四季や東方、さまざまなテレビやCMなど多方面にて活躍中です!
今後の活躍にも期待しています!