宝塚では無かった!前田美波里は東宝現代劇8期生!

前田美波里さんですが所属は東方現代劇の8期生です。

ですが、宝塚だと思っている方も多いようで今回は宝塚と思われてしまうのは何故なのか考察していきます。

前田美波里は宝塚ではなく東方現代劇の8期生

 
 
 
 
 
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前田美波里さんが入団したのは東方現代劇になります。

1963年に文化学院に在学中に芸術座のミュージカル「ノー・ストリングス」のPRを兼ねて東方が募集した”ミス・ノー・シトリングス”に優勝されます!

そして東方現代劇に8期生として入団されます。

翌年の1964年にミュージカル『ノー・ストリングス』で初舞台を踏み、初デビューされました。

その後、1966年に18歳の時に資生堂のサマー化粧品「太陽に愛されよう」キャンペーンガールとして起用され、人気を博しました!

ここから前田美波里さんの活躍劇が始まったのです。

前田美波里が宝塚と勘違いされのは何故?

 
前田美波里さんが宝塚の出身と勘違いされているのが何故なのかと考察をしてみました!
 
まずは宝塚の方達の特徴から考えてみました。
 
宝塚は特に歌舞伎形式のショーに関連するタレントの育成をしているようです。
 
そのため、宝塚のタレントは、歌唱力、踊り、演技などの技能に優れ、さらに美貌、グラマラスなルックスが特徴です。
 
また、女性タレントは、特徴的なメイクとコスチューム、髪型をされていて、「トライアングル」と呼ばれる特別なメイクしています。
 
ここから考えると前田美波里さんが宝塚を彷彿されるのはその容姿にあると考えられますね!
 
歌も上手で、容姿もスタイルが良く、とても綺麗。
 
またメイクも宝塚っぽく見えるというのがあるのでしょう。
 
そういった理由で勘違いする人が多いようです。
 
Yahoo!知恵袋でも質問されていたので抜粋します。
 
 
このように前田美波里さんんも容姿から勘違いしている方が多いと予想されます。
 

前田美波里さんの経歴について

 
 
 
 
 
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前田美波里さんのこれまでの経歴について、どうのし上がってきたのかということもご紹介します!

海外生活をしていたアメリカから帰ってきた後ですが、1971年10月〜1972年3月までNHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』でMCを夫のマイク眞木と共に務めていました。

もともと、前田美波里さんは小学4年生の時、友達の影響でクラシックバレエに憧れ、鎌倉のエリアナ・パヴロワの弟子・野口力子の下でバレエを習っていました。

そして、将来バレリーナになるためには鎌倉にいるよりも東京で勉強した方がいいのではないかと考え、上京されるほどの気持ちを持っていました。

高校生の時には芸能プロダクションに所属し、「堀内完ユニークバレエ団」に通った。

そういった経緯もあり踊ることが大好きのようです!

1970年代には日本ではまだミュージカルというものが定着していなかった時代で1番やりたい踊る仕事というのはできていなかったようです。

観客からの喝采を受けることができない生活が耐えられなかったようで、舞台中心の生活に戻るべく、離婚をし舞台の世界へ再度、飛び込んだようです!

この時、29歳で芸能界へ復帰されましたが舞台の仕事はもちろん”0”でした。

自分から仕事をとりに行くしかないと考えた前田美波里さんは現在あった仕事を全て断り劇団四季の「コーラスライン」のオーディションに全てを賭けて挑みましたが全て落選。

この時の愕然具合は相当くるものがあったでしょう。

ですが、諦めきれなかった前田美波里さんは頼み込んで稽古を3ヶ月継続。

その甲斐あってか、演出家の浅利慶太さんに呼び出されて「開始10分~15分でいなくなる役でもやるか?」という問いに「やります!」と即答し出演。

これが足がかりになったようで、ここからまた舞台の仕事に戻っていきます。

ここでの経験が自分の人生観を大きく変えたと後に語っています。

現在は劇団四季や東方、さまざまなテレビやCMなど多方面にて活躍中です!

今後の活躍にも期待しています!

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